「宝塚るり」の誕生まで。ルリコンゴウインコ飼育記Episode:0

宝塚るり、e-missionsをいつもご贔屓下さいまして誠にありがとうございます。地域の皆さま、当ブログをご愛読して下さる方々には、いつも深く感謝致しております。

恐縮ではありますがまだまだ超弱小の当ブログを「宝塚るり」と検索して探して下さる方がいらっしゃると聞きまして、そろそろ宝塚るりとの出会いについてご説明させていただきたくなりました。と言いましても、まだまだドメインパワーが弱いので…

指名検索で出ませんm(__)m

申し訳ありません。でも、まだまだこれでいいと考えています。

当サイトは当面、目先の利益は度外視してブログ更新を続けます。ここのブログ運営については超長期視点でしか考えておりません。時給0円、下手すりゃサーバーとドメイン代でマイナス(笑)キーワード戦略はしていないしSEO対策なんて皆無です。

一応、最低限は考えているんですが、この辺りのお話は機会があればまたお話しします。でも、私の成長過程を残すことには価値を感じますし、これが後々大きな財産になると確信を持ってブログ運営をしています。量より質を。

QOL(クオリティ・オブ・ライフ)ならぬ

QOC(クオリティ・オブ・コンテンツ)

ですから、何があっても宝塚るりと共に「飼い鳥と飼い主と社会の幸せ」、「地域社会の発展」、「関わる人と共に成長」のための発信は続けます。ここはブレません。

「自分で愛せるブログ」が目標。

前振りが長くなりました。さて本題ですが、今日は宝塚るりと私の過去です。9000文字近い超大作になっていますから、こんな前振りどころではないのでご覚悟を。

はいっ!ではいきますよ。

私の青年期までとインコ達

学生時代、親友と呼べる友達がいなかった

私は幼い時、家では「竹を割ったような性格」、「正義感が強い」とよく言われていました。自分で言うのもなんですが近所では評判の良い子で、よく遊び、よく寝て、よく勉強もする非常に元気な子どもだったと思います。外面が良く、内弁慶な性格ですね。

小学校まで、同世代の中では体が図抜けて大きく力も強かったです。ドラえもんで例えるなら、ジャイアンの姿をした出木杉くん…かな(笑)物怖じすることもなかったため、両親は自慢の息子だと思っていたようです。

恐縮ですが、小学校のとき先生からはずっと「よくできたいい子です。何も言うことがありません」と言われ成績表はほぼ満点。(幼稚園ではやんちゃくれだったらしい)塾に行けば「凄く優秀です」と言われ続けて育ちました。そんな風に育ったから…

いい子でいないといけない。

そう思い込むように。

今思えば良くも悪くも素直すぎる性格だったんです。なんでもハッキリ話し元来の気質からして理屈っぽかった私は「しっかりもの」と言われることで満足感を得るようになっていました。完全なる承認欲求ですよね。凛とした佇まいでいないといけないと。

本当は弱点だらけなのに。

そんな子供でしたから当然とっつきにくい部分があったと思います。学校で友人付き合いはありましたが、そんな生真面目な奴が一緒にいても面白くないです。しゃーなしに私と付き合ってくれる友人が多かったのかもしれません。でも…

真実の姿は、根暗で大人しい。

本質はインドアで、出不精。

勉強は「いい子」って言ってほしくて、褒められるから頑張っていたんだと思うんです。だから徐々にサボるように。さらに性格が質素ですからどんどん地味に。中学校までの友人で親友と呼べる人っていないです。「真面目でいい子」でしたからね。

最近、ホラン千秋さんが言っていた言葉を借りるなら、学生時代はキラキラした他の子たちを斜めから見ていました。

反動で高校ぐらいから粋がりまして。シュワルツネッガーとかスタローンとかハリウッドのムキムキの男くさい人に憧れて体を鍛えだしたら結構熱中して。そうしたら地元のやんちゃな人まで一目置いてくれるようになった(笑)またそれが私の承認欲求を満たした!

それに味を占めて、ちょっとプチヤンキーぶって全く勉強しなくなりました。教科書なんて授業中に見たことがないかな。教師にいちいち逆らっては、それがかっこいいんや~と勘違いしていました。イタいなあ~。でも、人生で1番人望は厚かったかも。

何より大切で何より癒しだったオカメ、ピッピ

私は幼いころ動物が凄く好きでして、ペットショップや動物園に連れて行ってもらうと一日中過ごせるし、捨てられている犬や猫をすぐに家に連れて帰ってくるような子どもでした。しかし、集合住宅に住んでいたので当然ペットの飼育が禁止で自宅では飼えなくて。

結局、親戚に引き取ってもらったり、両親に里親探しを手伝ってもらったり。

そんな両親の苦労をよそ目に、私は動物が好きなのに何も飼えないジレンマをどんどん膨らませます。そして平成9(1997)年の年明け早々、両親にわがままを言って説得します。お年玉で念願の小鳥を飼うことを決めペットショップへ向かいました。

レジ前にあった鳥の雛がたくさん入ったアクリルケージを覗くと、モコモコに膨らんで尾羽を毛繕いする全身淡い黄色のオカメインコが、愛嬌ある赤い頬をボフっと膨らませながら私と視線を合わせると不思議そうにぴょこんと換羽を立て首を傾げました。

心を奪われました。

ピッピを迎えた21年前です。

それから約15年間、私が自宅に帰ると「ケージから出してくれ」と必ずピーピー鳴き、放鳥すれば私の肩に乗って離れないピッピが愛おしくて。友人が多くなかった私にとって彼は兄弟や友人以上の特別な存在で、彼との時間が何より心の癒しでした。

 

放鳥して指をリズムよくトントンすると、嬉しそうに羽を広げて首を振りながらダンスをします。男の子は陽気な性格が多いです。また、肩に乗っているときに手を見せると「なでて~」と頭を下げます。もう1枚は父の肩で頭をなでられているピッピ。

寝転んで昼寝をしていれば、こんな風に寄ってきて一緒に寝てくれます。写真は妹が寝ているところに寄っていって添い寝をしている写真。(※ 逃げ足は早かったし、ヒヤリとした経験はないですが十分注意して下さい。よくある事故です。)

ピッピのことは1つ後悔していることがありまして、軽い毛引きをする癖がありました。上のタイトル付近の写真でも確認できますが、首付近の毛がやや薄くなっていることが時折ありました。治してあげられなかったことに飼い主としての力不足を感じています。

毛引きの治療は、

非常に難しいです。

警察官の時に仕事で保護したもう1匹のオカメ、よっち

平成21(2009)年の晩秋、警察官時代に仕事で保護した雛。もう1匹の家族(女の子)です。写真の1枚(下)はビックリした顔をタイミングよく接写したときです。「トノサマバッタみたい~」と家族みんなで笑いました。

    

ピッピより体が大きく、どてどて、よちよちと歩くことから名前は「よっち」です。家族には「よっちゃん」と呼ばれています。

みかんとじゃれるよっちが可愛すぎた思い出の1枚(下)みかんのヘタだけ全部取ってしまいます。もう1枚は尾羽を綺麗に毛繕い中。同じ毛ばっかり毛繕いして他の毛が筆毛だらけなことに全く気がつきません(笑)

    

佐々木家は決して裕福な家庭ではなかったですが、我が家のオカメインコ2匹はいつも爽やかな笑いを届けてくれました。ちなみにピッピとよっち、雄雌そろいましたがお互い同種とも思っていないような素振りで、2匹は全く仲良くありませんでした。

自分を人間と思っていたのかな?

鉢合わせると、

お互い口を開けて威嚇する有様。

PS:よっちは母が大好きなので今も実家です。

人生で1番泣いた日

平成24(2012)年初頭、ピッピは15歳になり顔を背中の毛にうずめて寝ている時間が1日のほとんどを占めるようになっていました。原種でなくルチノーで体が小さかったため遺伝的な弱さが心配でしたが、ここまで病気は無く過ごしていました。しかし、

毛並みは悪くなり、

声の張りも無くなって、

飛び上がっても力なく落下する

こんな状況の日が徐々に増えていきました。家族で話すときにも「そろそろかもしれないな」と話すようになりしたが、私は「原種は20年を超えて生きるらしいし、飛べなくなってもエサさえ食べられるなら、まだまだ大丈夫」とたかをくくっていました。いや、

「自分を言い聞かせてた」

が正しいかもしれません。

4月2日、ピッピはついに飛べなくなりました。自分が飛べなくなったことを理解したのか放鳥すると、外が一望できる大好きな窓の下までトコトコ歩いていって私の顔を見つめます。「あそこに上げてよ」と言いたかったのでしょうか。

手に乗せて窓に上げると、桟に止まって窓の側でじっと目を閉じました。春の穏やかな日差しを感じ無事に新しい季節が訪れたことを喜ぶように噛みしめている、そんな佇まいでした。その日差しが後光のようで、ピッピが全てを悟った仏様のように見えました。

胸騒ぎがして撮った最後の写真です。正直、公開しようか迷いました。しかし、原点はここであることと、大切な私の志として忘れないために。

4月7日、働きながら介護を学ぶために専門学校の夜間部に入学し、午後から自分のデスクに座って身辺整理をしていました。前日に参考書を受領し終え、新しいスタートを切って張り切っていたことを覚えています。14時頃にリビングでコーヒーを飲んで、

ケージ内でエサ箱まで降りてきて、しっかり食べているピッピを見て安心し「あとで遊ぼうな。待っといてな」と声を掛けました。ピッピは弱々しく「きゅ~」と返事をしてくれたことを覚えています。19時頃、デスク整理を終え放鳥してあげようと、

リビングのケージに近づき、

ピッピに声を掛けました。

しかし、目を閉じたまま…

返事がありません。

何かを叫びながらケージの扉を急いで開き、左手の人差し指を、止まり木にかろうじて止まる彼のお腹の前に挿し出しました。するとピッピは気付いたのか弱々しく、力を振り絞るように左足を、

震えながら

私の指の上に乗せました。

そこからはもう何を話し掛けたか覚えていません。ピッピの体を両手ですくって、泣きじゃくりながら彼のお腹に顔を押し付けました。(ピッピはよく私の鼻にお腹の毛をつけて落ち着いていた)しかし、弱々しくなったピッピに反応はありません。

ピッピを抱きしめながら約3時間、

大声で泣き続けました。

エサをすり潰し、お湯で柔らかくして口に入れても飲み込めなくて。苦しめて窒息させる危険性もあったため断腸の想いで中止して。やがて自分で体を支えられなくなり、立っていられなくなり、横たわって。でも目だけは力弱くも開いていて。

涙ぐんだような目で、

最後まで私を見てくれる。

それがすごく切なくて。

「なぜ、今日は休みだったのに気付かなかった!朝から家におったのに!もっと最後に一緒に居てやれたのに!!最近の様子から、最後が近いことは分かってたやろ!!」そう自分を責めました。

21時50分頃、

目を閉じ、呼吸が浅く早くなり、

体がふるっと震えた瞬間、

彼の心臓がゆっくりと

動きを止めるのが分かりました。

私は非科学的なことは信じません。でもこの時だけは仮に死後の世界があったとしたら15年間は幸せだったかもう一度会って聞きたかった。そして伝えたかった。命の温もりを感じ、命を大切に想い、命を尊ぶことができるようになったのはお前のおかげと。

毛引きを治してあげられなくて、

ごめんねと。

PS:ペットロスは本当に辛い。

最愛のピッピを亡くして、4年後の初夏。

宝塚に巨大なホームセンターが開業!

4年後の平成28(2016)年6月17日、宝塚にロイヤルホームセンターがグランドオープンしました。私は専門学校の夜間部を卒業後、社会福祉士取得の為に福祉大学に編入するのと同時に介護福祉士の正職員として就職し、約1年が経過していました。

7月の初め頃だったか、夜勤入りの日にパートでよくお話する女性が「ロイヤルホームセンターに行ったらルリコンゴウインコの雛がいて、めちゃくちゃ可愛かったよ」と教えて下さいました。私は「大人になって、こんな気持ちになったことがあっただろうか」

と、夜勤中ずっとワクワクした気持ちが治まらなかったのを今でも覚えています。徹夜で仕事を終えたあと、眠たさも忘れて宝塚ロイヤルホームセンターに向かいます。

ホームセンター入り口の自動扉を通ると奥の方から「ギャー」と南国の原始林に入ったかのような鳴き声が聞こえます。驚いて「凄いなあ」と笑い呟きながら、新築の匂いが残る店内を鳴き声がした奥へ向かいました。たぶん私の目はキラキラしていたと思います。

店内を進むとペットフードが並ぶ商品棚が見えてきて、その隙間から放し飼いにされているルリコンゴウインコの雛が見えました。その瞬間「うわ~っ」って感嘆する声が自然と洩れていました。この高揚感って例えようがないです。内からザワザワ~って感じ?

店のブログに掲載されていたその頃の写真(下)です。平成30年5月9日、店員さんに写真使用の許可を貰えたのでここに掲載させていただきます。

もっと雛の頃の写真(下)もありました。これは私も知らない時代の貴重な写真。育ての親である店員さんが「手塩にかけて育てた、私の大好きな子」とブログでも紹介されています。

ペットショップがブログを開設した際、宣伝隊長に任命されていた頃の写真(下)私が生体代金を払った前後ぐらいかな。この頃、人の言葉を覚え始めてペットショップに来たばかりのお客さんに「ばいば~い」と連呼していたそうです(;´▽`A“

店の人がずっと呼んでいたのでしょう。ある日いつものようにペットショップに行きケージの前に立つと「るりちゃん」と喋りかけられました(市場価値が下がる可能性があるので、購入側・販売側双方にとってあまり良いこととは言えないです。本当はね!)

私は気になりません。むしろ、

同じ名前にしてた気がする(笑)

ルリコンゴウインコが毛引きを始めた

誰かを責めるわけではありませんが、突然ホームセンター側の意向で業務時間中にケージの外に放鳥したらいけないことになります。お客さんが希望したときだけ放鳥できるとのことでしたので「可哀想やな」と思って私は勤務の度に通うようになりました。

ホームセンターをかばうつもりはありませんが、もしかしたら他のお客さんからクレームが入った可能性はあると思っています。その時の状況としては、私が行かない日は小さいケージ内で身動きすらまともにとれない日が多かったようです。

「誰か飼う人が現れないかな」と考えていましたが、そうそう80万円(他の一般の方のブログを見ていると最初50万円だった?)のルリコンゴウが売れるはずもなく(こだわりがある愛鳥家はブリーダーの「生まれてすぐの雛」を年単位で待っているだろうし)

毎日、心配で心配で。

気をもんでいました。

通い始めて2か月ぐらいたった頃。羽に血液が付着していて、落ちている羽の先が齧ったように不連続な断面になっていることがありました。「まさか」と嫌な予感がして放鳥をお願いし、羽を開くと左の翼の風切り羽が減っていました。

「血が出ていませんか」と店員さんに聞くと「びっくりして驚いたんですかね」とのことでした。納得がいかなかった私は、育て親の店員さんを探してもう1度聞きました「もともとは両方の風切り羽1枚ずつはクリッピングしていたんですが」とあり、続いて、

「最近、羽を齧ることがあって…」と仰り、

困った表情をされます。

【その頃の姿が確認できる動画】

 

こちらも店のブログからいただいた動画ですが、左の翼の風切り羽の半数近くが無くなっていますよね。「身動きがとれない狭い空間で1日何もすることが無い」人間が同じ状況、例えばトイレぐらいの狭い牢屋に閉じ込められて時間を持て余したら。

爪ぐらい齧るでしょう。

長期になれば髪をむしるでしょう。

発狂してもおかしくない。

繰り返しますが、私はホームセンターとペットショップを責めるつもりは一切ありません。それよりももっと根底にある飼い鳥に対する文化そのものがまだまだ追いついていない現状であると思っています。生体販売について、法改正が必要かとも考えています。

この辺は、

TSUBASAさんと頑張るつもり!

BLA1級を取得して、その仲間と。

「人生、差し上げます」

ここで私の気持ちに一気に火が付きました。急がないといけない。このまま毛引きが癖になったら自分の皮膚を傷つけるまでになってしまう。今この子を助けられるのは私しかいない。ここまで関わったら知らんぷりはできん!放っておけん!

寿命が長い??

後でなんとかしたるっ!

ここから、ルリコンゴウ飼育記①で語った約2か月間の不動産屋巡りが始まります。そこで経験した悔しい気持ちも機会があればご覧ください。ルリコンゴウインコを飼う難しさもこちらでご紹介しています。かなりの覚悟と勇気はいりましたよ。でも、

この子のために、

私の人生を捧げよう。

もう心は決まっていました。今思えば、この原動力になったのはピッピの姿を重ねていたからだったと思います。心理学でいうところのピッピの毛引きを治してあげられなかったことに対する「代償行動」ですね。

PS:世間様には好き放題言われましたよ(「80万のオウム!?ヒャーッ!」、「オウムのために引っ越し?友だちおらんのちゃう」とかね  笑)もうね、逆に面白い。人の噂話の何が面白いんやろう。言わせておけばええわ~と、開き直りは早かったです(笑)

PPS:オウムじゃなくてインコ!

PPPS:オカメは実はオウム…

PPPPS:1人だけ…。この人は何かにはまれば大成功する人間(管理職陣からの仕事面の評価は抜群の天才肌。ただし究極の飽き性&ちゃらんぽらん。でもある意味適当さ?取捨選択ができるって最も重要)やろうなと思っていた上司(伝えたことはない)が、

「佐々木くんの発想と行動力はほんまヤバい。凄すぎる」と絶賛してくれました。引っ越ししてから家の近くの特養に職場を変えましたが、去り際に一言「ビッグになって」と言って下さいました。私のことを買ってくれる数少ない1人でしたね。

PPPPPS:ビッグ…誤解が生まれそうな言葉(笑)呆れるほど自由な人間ですし。窮屈なことも嫌い&パーソナルスペースが広い。加えて、私も口癖が「どっちでもいい」の適当人間。も、人生をかけて証明したい信念はある!

「宝塚るり」になった日

なんとかルリコンゴウインコを飼える環境を整えた!

ケージはその辺の自販機よりも大きいです。人間でも余裕で入りますよ。写真はありませんが、準備している際、手伝いに来てケージの中を拭いていた母を閉じ込めました(笑)

平成28年12月26日。賃貸契約を済ませてから約1か月。かかった総額は、生体の値段を含めて200万円ぐらい。周りの家族、友人にも呆れた顔をされましたね。家とケージを準備して、飼育できる環境を整えて。いつでも引っ越しできる準備完了

・1階が20畳の大きい家

・ケージ

・ペットヒーター

・おもちゃ

通信制の福祉大学に編入して、この頃は休日返上で別法人に社会福祉士の実習に行っていたので、この時期の忙しさったら凄まじかった。通算80連勤とかやったような(笑)その中で準備したので達成感がありました。体が壊れるかと思いましたが。

しかしながら、

まさかルリコンゴウを飼うとは。

人生って、ほんま分からん。

念願のルリコンゴウインコお迎え【当日】

平成28年12月30日。当日の写真。

奇跡とかそういった情緒的なことを信じるタイプではありませんが、青々とした空がこれから先(いばらの道)を応援してくれているような気がして。記念に1枚撮影しておきました。この頃はブログを始めるなんて微塵も考えていなかったです。

輸送中?の写真と到着後すぐの写真。

 

緊張して下痢をたくさんしていました。ストレスが相当かかったやろうな。ごめんね。おもちゃをたくさん買っておいたから、自分の毛を齧らずにおもちゃをガンガン壊して遊んでね。

夜は心配だったのでケージの側に布団を敷いて寝ました。

 

予想していたんですが、環境が変わって怖かったんでしょうね。深夜までケージの上の端に止まったまま動きませんでした。夜中の2:00頃だったか電気を点けてあげました。

朝方、止まり木まで降りてきて寝ている姿を発見。ほっとしました。

翌朝、平成28年12月31日大晦日。

 

ブランコを気に入ってくれたようでずっと乗っていました。ブランコは今でも1番のお気に入りの場所。もう1枚は給水器で水を飲んでいるところ。上手く覚えてくれて、新鮮な水を毎日あげることができます(^^♪

「宝塚るり」になった瞬間

さて、名前…るりちゃんでいいっか。自分で言ってるもんな~。でもなあ、子どもを持つってこうなんかな。意地を張ってしまう。他にもおるやろうしな。名前は携わってオンリーワンな名前にしたい。

(冷蔵庫を空ける)

あ、ご飯ないやん、買い物いこう。

(スーパーに到着)

ん?

(宝塚の名を冠する)

(某食料品を発見!)

へ~、豊能にもあるんや…

あっ!宝塚で出会ったるりちゃん。

「宝塚るり」や!!

PS:後日妹にLINEで、

・宝塚瑠璃

・宝塚ルリ

・宝塚るり

どれがいいと思う?と聞いたところ「歌劇団員みたいやな 」と突っ込みが入り、その直後「宝塚るり」と一言だけ返ってきました。なぜか尋ねると「字面」とさらに一言だけ返ってきました。我が妹ながら男前な返信です。

PPS:今日も宝塚るりは床をトコトコ歩いて来て「る~りちゃんっ」と私を見上げ、ご機嫌に喋っています!思い出話を書いていたから、今日は余計に可愛く見えます(^^ゞ

あ、毛引きはどうなったかって?

1年かかかりましたが、

完治して綺麗な翼になりましたよ♪

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